てんもり:色んな食べ歩きブログがあると思うのですが、多くが“自慢話”に結びついてしまっているケースがあると思うんです。羨ましがられるのを快感と感じるのかもしれませんね。
でも、読み手の事を考えると、そこがビミョーだなと感じてしまう所なんですよね。僕自身はそういうのが苦手なんです。
ですので、“自慢心”が入らないような書き方をしています。
日本人の書いてるブログをけっこう見てるんだけど、好きなのはやっぱり、ごく普通の日常を書いているブログかな。日本はいつもセンセーションに満ち溢れてる国なんだって妄想を吹き飛ばしてくれるんだ。日本にも人が住んでいて、俺たちみたいな日々を過ごしている人もいる。そういうのがとても興味深いんだ。外国人は日本にセンセーションばかりを求めてしまうんだけどね。
(Reblogged from ak47)

nezzz:

shizzlewhizzle:

Want.

(Source: cglclp)

(Reblogged from pns05017)
pinto:

Albert Hwang’s Business Card (by caseorganic)

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Albert Hwang’s Business Card (by caseorganic)

(Reblogged from pns05017)

初めまして、俳優をしております渡辺謙と申します。

 まず、昨年の大震災の折に、多くのサポート、メッセージをいただいたこと、本当にありがとうございます。皆さんからの力を私たちの勇気に変えて前に進んで行こうと思っています。

 私はさまざまな作品の「役」を通して、これまでいろんな時代を生きて来ました。日本の1000年前の貴族、500年前の武将、そして数々の侍たち。さらには近代の軍人や一般の町人たちも。その時代にはその時代の価値観があり、人々の生き方も変化してきました。役を作るために日本の歴史を学ぶことで、さまざまなことを知りました。ただ、時にはインカ帝国の最後の皇帝アタワルパと言う役もありましたが…。

 その中で、私がもっとも好きな時代が明治です。19世紀末の日本。そう、映画「ラストサムライ」の時代です。260年という長きにわたって国を閉じ、外国との接触を避けて来た日本が、国を開いたころの話です。そのころの日本は貧しかった。封建主義が人々を支配し、民主主義などというものは皆目存在しませんでした。人々は圧政や貧困に苦しみ生きていた。私は教科書でそう教わりました。

 しかし、当時日本を訪れた外国の宣教師たちが書いた文章にはこう書いてあります。人々はすべからく貧しく、汚れた着物を着、家もみすぼらしい。しかし皆笑顔が絶えず、子供は楽しく走り回り、老人は皆に見守られながら暮らしている。世界中でこんなに幸福に満ちあふれた国は見たことがないと。

 それから日本にはさまざまなことが起こりました。長い戦争の果てに、荒れ果てた焦土から新しい日本を築く時代に移りました。

 私は「戦後はもう終わった」と叫ばれていたころ、1959年に農村で、教師の次男坊として産まれました。まだ蒸気機関車が走り、学校の後は山や川で遊ぶ暮らしでした。冬は雪に閉じ込められ、決して豊かな暮らしではなかった気がします。しかし私が俳優と言う仕事を始めたころから、今までの三十年あまり、社会は激変しました。携帯電話、インターネット、本当に子供のころのSF小説のような暮らしが当たり前のようにできるようになりました。物質的な豊かさは飽和状態になって来ました。文明は僕たちの想像をも超えてしまったのです。そして映画は飛び出すようにもなってしまったのです。

 そんな時代に、私たちは大地震を経験したのです。それまで美しく多くの幸を恵んでくれた海は、多くの命を飲み込み、生活のすべてを流し去ってしまいました。電気は途絶え、携帯電話やインターネットもつながらず、人は行き場を失いました。そこに何が残っていたか。何も持たない人間でした。しかし人が人を救い、支え、寄り添う行為がありました。それはどんな世代や職業や地位の違いも必要なかったのです。それは私たちが持っていた「絆」という文化だったのです。

 「絆」、漢字では半分の糸と書きます。半分の糸がどこかの誰かとつながっているという意味です。困っている人がいれば助ける。おなかがすいている人がいれば分け合う。人として当たり前の行為です。そこにはそれまでの歴史や国境すら存在しませんでした。多くの外国から支援者がやって来てくれました。絆は世界ともつながっていたのです。人と人が運命的で強く、でもさりげなくつながって行く「絆」は、すべてが流されてしまった荒野に残された光だったのです。

 いま日本は、少しずつ震災や津波の傷を癒やし、その「絆」を頼りに前進しようともがいています。

 国は栄えて行くべきだ、経済や文明は発展していくべきだ、人は進化して行くべきだ。私たちはそうして前へ前へ進み、上を見上げて来ました。しかし度を超えた成長は無理を呼びます。日本には「足るを知る」という言葉があります。自分に必要な物を知っていると言う意味です。人間が一人生きて行く為の物質はそんなに多くないはずです。こんなに電気に頼らなくても人間は生きて行けるはずです。「原子力」という、人間が最後までコントロールできない物質に頼って生きて行く恐怖を味わった今、再生エネルギーに大きく舵を取らなければ、子供たちに未来を手渡すことはかなわないと感じています。

 私たちはもっとシンプルでつつましい、新しい「幸福」というものを創造する力があると信じています。がれきの荒野を見た私たちだからこそ、今までと違う「新しい日本」を作りたいと切に願っているのです。今あるものを捨て、今までやって来たことを変えるのは大きな痛みと勇気が必要です。しかし、今やらなければ未来は見えて来ません。心から笑いながら、支え合いながら生きて行く日本を、皆さまにお見せできるよう努力しようと思っています。そしてこの「絆」を世界の皆さまともつないで行きたいと思っています。

(Reblogged from plasticdreams)
時に、バセドウ病あるいは橋本病の患者、またはその親族に、まだら状のはげがみとめられることがあります。これは、円形脱毛症として知られている病気で、頭髪や頬髭を含み、毛が生えるところであればどこでも、斑状のはげができるのが特徴です
アメリカはげ協議会に連絡をとることもできます。巻末に載っておりますが、電話番号は1-800-274-8717です。
彼らは活動や騒音から逃れる必要があると感じます。音に対する耐性が低くなっているのです。要するに、非現実的な静寂の世界に包まれていたいと思うのです。ある甲状腺機能低下症の女性はこう言いました。「私は家が静かであって欲しかったんです。そうでなければ、私は子供達や主人に向かってわめき始めました。大きな音を出したり、動いたりするものは何であれ、私をいらいらさせたのです。テレビは私にとっては邪魔物でした。私は見ることができませんでした。子供達の騒がしさはいらいらのもとでした」
「私は主人に私がいて欲しい時に家にいたためしがないと言っておりました。彼は学生でしたし、1日中学校にいるわけではなかったのです。ですから、彼が家にいて家事を手伝ってくれないことで私は腹を立てていました。でも、実際はできる限りのことをしてくれていたんです。それでも私は満足していませんでした」
甲状腺疾患患者はしばしば短気で、いらいらしやすくなり、時に過剰な理由のない怒りを見せることがあります。
甲状腺ホルモンバランスの乱れにより、周囲の人に過度に批判的になり、すぐにけんかを始め、かみつくようになることがあります。甲状腺ホルモンバランスの乱れのある人が直接、他の人に向ける非難や怒りの底には不安や心配が潜んでいることがよくあります。皮肉なことに、甲状腺の病気のある人は自分に対する非難にはうまく対処できないのです。
甲状腺疾患に罹っている人は自分の体や精神に異常なことが起こっていることを認識しているのに、それを理解したり、和らげたり、あるいは正確に言い表すことさえできないことです。同時に、自分自身や周囲に対する認識の歪みから配偶者の行動を不適切だと見なすようになります。甲状腺の病気の人は、相手の方が変ったのであり、自分達の感情的大混乱の原因であると本当に信じているのです。反対に、配偶者や他の愛する人達は患者を咎める行動をとることが多いのです。そのために、甲状腺疾患患者は、そのような食い違いが原因ですでに存在している不安やストレス、怒り、そしてうつ病が悪化し、そのために罪悪感を抱くことがあります。
(Reblogged from toutiku-m44)